「香港書本藝術節(香港ブックアートフェス)2015 の報告」
山崎曜
6月5日から11日まで香港書本藝術節2015( 6/6~6/14に開催)に行きました。(7月にアメリカに行き、現在、その後にアメリカと香港を振り返って書いています。)
メインとなるのはブックアートの展示で、私を含む海外作家4人と香港の作家14人が参加。
それに加えて豆本のコンペ出品作と「蛋誌」という企画豆本シリーズの展示。
トーク(海外作家4人それぞれの話、書籍修復家とブックデザイナー、ブックアーティストとの対談)、製本のワークショップもありました。
今回の展示全体のキュレーションをし、「蛋誌」も企画創始したのがTiana Wongさん。
https://www.facebook.com/eggwich/photos/a.910398459006027.1073741879.431043726941505/910398479006025/?type=1&fref=nf
彼女は現代美術の作家なので、この展示も現代美術的な傾向があります。豆本のコンペも可愛らしいイメージとはちょっと違った感じです。作家の分類も「concepts」と「binding」の二つで、bindingに分類されているのはMark Cockramさんと私だけ。
Tianaは10年以上も前、日本旅行中に私の製本教室を受講しました。そして今回私を招いてくれました。
海外の作家はMark Cockramさん
http://www.markcockrambooks.co.uk/page3.htm
Jayne Dyerさん
http://jaynedyer.com/bio/
赤井都さん
http://kototsubo.com/
山崎
http://yoyamazaki.jp/
香港の人たちはTianaや
http://www.tianawong.hk/
デザイナーでもあるChan Hei Shingさん
https://heishing.wordpress.com/
などなど。
一緒に行った豆本作家の赤井都さんと帰国後、メールのやりとりをしました。
私は展示にもう少し説明があればいいのに、と思ったのですが、それに対して赤井さんは以下のように答えてくれました。(名前など少し山崎が補っている部分があります。)
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たとえば、Fato Leungさんの作品:
これを見た一人の男性が、説明を求めてアーティストを呼んでいる光景を目にしました。
その場で、その人の質問に対して、説明するから説明になるのであって、
この作品の文章化はたぶんあまりできない。
むしろ、文章で置き換えられるなら、文章で表現できる内容なわけから、この作品表現は
必要ないことになりますが、そうではない。
Jade Lamさんの作品:
イヤホンが置いてあり、音楽を聴きながら、オブジェクトを見るようになっていました。音と一緒の演出。
作品の詩的さが、音によって増幅されていました。また、ゆっくり見ようという気になりました。
Mark Cockramさんの作品:
これは時間の経過やコンセプトなど、ここに至るまでの過程がすごいのに、
これだけを見ると、単にオブジェクトとしてだけ見てしまうので、当初すごさがよくわからなかったです。
Markの他のfine bookが2冊くらいあって、これもある、とかのほうがわかりやすかったのかなと思います。
ただならぬ気配っていうのはあるんですが、これは、アーティスト不在時のために、
この本がどうしてこうなっているかの説明を、アーティスト側が準備していれば
この作品の深さが伝わり、もっと評価が高まったかなと思います。
つまりこれだけ見ていると、Jayneの作るようなオブジェクトとの差異がよくわからなかった。
Jayne Dyerさんの作品:
Jayneは自分の作品は、受け取る人によって、感じ方はさまざま、それぞれの反応になると言っていました。
それだからこそ、この表現であり、アーティストは説明しないアートです。
見る人が、自分で自分に説明をします。
たとえば、パブリックトークで黒い本の写真を見せてくれましたが、
これを中国の言論統制で真っ黒になった本のイメージで見た年配の女性もいたと聞きました。
そのように、時代やジェンダーや国、人種によって、受け止め方が変わってきて、
しかしそれぞれに意味を持つというのが現代に生きるアートなのでしょう。
ユネスコの書物の定義には入らない本ですが、
言葉、本、そうした伝統や権威への認識の上に立っているので、
本があって成り立っている、ブックアートという位置づけになるのでしょうね。
赤井都:
私のは、何だろう?小さいのがいっぱーい。小宇宙?
作品情報はホームページにデータがたくさんあるので追えるはずです。
豆本だと説明をしようとすると作品よりも説明パネルのほうがでかくなってしまうので、
売る場所でなければあまり説明したくなく、実物だけ見て欲しい気分です。
人の反応は、「なんだか吸い込まれそう」なのかな、見ている人はじーっと見ていました。
吸い込まれてどうなる? 癒されるのかな??
山崎曜:
こうして順に見てくると、
山崎さんの作品は、「使う」という、本の利用、本の使用のために、
説明が必要なんだなと感じました。(オープンでは着物を着て説明し、人だかりになっていましたね)
たとえば、楽譜立ては、「ここからこう音が出てくるために穴があいているんです」
と言うよりも、向こうから音が出てくる演出にすれば、説明の言葉は必要なくなりますね。
説明の言葉を聞いて、想像していても、きれいですけど。
内側や裏側からいろいろ出てくる函的なものは、写真を何枚も並べるよりも
動画が一発なので、小さなモニターを置いておいて、函を開いていくようすを流し、
展示物は実物を閉じた状態で置いておく、とか。
使う作品は、また一つの山崎さんの特徴ですね。
グループ展で、粒がそろっていると、こうして他との比較で
いろいろと見えてくるのが、おもしろいことです。
振り返って東京製本倶楽部展は、伝統の表紙つけの人たちの比重が大きいですね。
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というわけで赤井さんがとてもよく解説してくれていると思います。私は現代美術としてのブックアートの展示をちゃんと見るのが初めてなのもあり、どう受け取ればいいのかよくわからなかったのです。Tianaさんは、香港の人にはブックアートはまだまだ馴染みがないから、なんでもかんでも一緒に展示ということになってしまった、というようなことを言っていましたが、おかげで私も入れてもらえた感じですし、なんでもありは、かえってよいことのように思います。
また、赤井さんが最後に書いているように、私も自分の作っているものの特徴が見えるように思いました。7月にアメリカに行った時も、壁にかけているカバン型の辞書を持って行ったのですが「これはアート作品ではないですよね」という私の問いかけに「うん、確かにアート作品ではない」と誰だったかアメリカの人は躊躇なく答えてくれました。でもそれは確かに「本」であり「作品」でもあるわけです。
東京製本倶楽部で一般的な「ルリユール」のスタイルの作品(一種の改装でしょうか)を私はもう随分長く作っていませんが、この香港とアメリカでの体験を通じて、種々のものが雑多にしかし綺麗に並べられている環境だと、ルリユールの繊細な美みたいなものが一層際立つかもしれない、と思いました。
トークやワークショップについては以下をどうぞ。
赤井さんのブログ
http://kototsubo.com/blog/blosxom.cgi/2015/06/
山崎のブログ
http://yoyamazaki.jp/blog/2015/06/post-474.html
http://yoyamazaki.jp/blog/2015/06/post-475.html
(山崎曜)
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